第324号  1年8月号  長井 一彦

 皆様におかれましては、とても暑い中ではありますがお元気でお過ごしの事と存じ、心よりお喜びを申しあげます。
 また、梅雨入りしてから九州・四国地方をはじめ異常とも思われる天候で、豪雨によって各地で被害にあわれました皆様に心より御見舞いを申し上げます。

 令和元年の春も暖かい日々が続きまして当地では、種蒔きから田植えの時期を終え仕事が順調に進み、今は暑い熱い日々を過ごしております。
 
 昭和、平成の時代から令和の元号に変わり、来年はいよいよ東京オリンピック。開幕までもう1年を切りました。56年振りの開催国日本、頑張れ!頑張ろう!!
55年前の東京オリンピックの時、私は高校2年生でした。当時のオリンピックは10月開催だった為、重ならないようにその年の国体は前倒しで6月に、私の地元新潟県で開催されました。
 
 …そして、6月国体終了直後の昭和39年6月16日、新潟地震発生。今でも思い出される事は主任先生の授業時間の時のこと。二階の教室がグラグラと揺れて少し長かったと思います。「地震だ、逃げろー!」と先生の声は聞こえたのでしたが、そのあと相撲取りのような姿をした先生が一番になって逃げ切ったのです。先生が真っ先に逃げるとは何だと、非難ごうごうとなりまして、「ごめんなごめん…。」と謝る姿が小さく見えたものでした。
 その日は交通が困難で15キロ程の国道を歩きながら帰りました。家屋などが倒れる被害の事は記憶に残っておりませんが、新潟市内では大規模な石油コンビナート火災、液状化現象でアパートが倒壊、道路や土地が地割れで陥没、4メートルの津波による冠水と、多大な被害がありました。我家では春に水田直播して、芽が出てこれから成長する時期に地震の揺れで泥をかぶり、大きな被害を受けて苦しんだ年でした。
 秋になっても父は何も言わず、「頑張った」と一言だけだったのが今も心に残ります。地震の影響で8月開催の国体は中止となり、55年前のオリンピックの年は地震と共に終わりました。

 あれから時は過ぎ、大潟村へ。昭和45年訓練所での大規模農業の実践訓練を終えて、翌年の春から営農開始、直後に減反政策が始まって国との戦いなど、本当に色々な事がありましたが、それから50年を数える事となりました。
最近の我が身は、親も知人も友も、そして妻もあの世へと旅立ち、大きくショックを受けることばかりですが、先人達の残してくれた事を忘れずに、また、後継者へと繋げていけるように一日一日頑張っていこうと思っております。   

今月の一句
つゆ草の あい色深き 田の畦(くろ)に